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山下高之先生を偲ぶ会に参加して 〜立命館大学院時代を回想する〜

ファイル 12-1.jpg 2008年6月29日、京都センチュリーホテルにて、立命館大学名誉教授、山下高之先生(享年78歳)を偲ぶ会が催され、故人と親交のあった大学教員やゼミの卒業生を中心に約50名の方々が参加された。厳かな中にも終始暖かく優しい雰囲気に包まれた会であった。
 山下先生は経営学を専門領域にされており、テイラーシステムや生産管理論、日本的経営の研究などで数々の優れた著作を発表される一方で、日本経営学会理事、立命館大学経営学部長をはじめ同人文科学研究所長などを歴任され、日本の経営学界、立命館大学の教学の発展にも大きく貢献されている。また、同志社大学名誉教授の今井俊一先生(故人)とともに、西日本の経営学研究者を中心に批判的経営学の立場から企業経営を科学的にみる管理論研究会を創設され、所属大学や専門領域の垣根を越えて、広く経営、労働、技術、組織など多様な分野からの研究発表や研究交流、研鑽の場を提供されてきた点は高く評価されている。
 1978年から1983年まで立命館大学大学院経営学研究科の山下ゼミに所属し、修士課程、博士課程を通じてご指導をいただいた者として、山下先生のお人柄や専門分野に対する識見に関わるエピソードを紹介し、山下先生の御遺徳を偲びたい。

 私はなぜか立命館大学に縁がある。1970年、大学受験を控えていた当時、家庭の経済的事情から夜間大学の2校を受験することになった。国公立では最も学費の安い大阪市立大学(当時の年間学費は約12,000円)と私立では相対的低学費をスローガンにした立命館大学である。幸い、両校とも合格し、近距離であるという事情から大阪市立大学2部商学部に進学することになる。
 立命館大学受験の際に忘れられない経験をしている。京都市電の降車駅を間違えたために遅れて試験開始5分前に試験会場建物の受付に到着した。私が2部志望の受験生だと告げたところ、受付の近くにいた学生が「私も2部だ。時間がない、急がなきゃ」と言って、いきなり私の手を取りめざす受験会場まで案内してくれた。おかげで、受験時刻に間に合った。このときの立命館大学の先輩の手の温もりと京都府知事選での革新候補や京都市電廃止反対を訴えたビラを山のように受けとったことが印象に残っている。
 1978年に衣笠キャンパスの大学院修士課程に進学した私は、修士論文のテーマを何に設定するか修士課程2回生になっても逡巡していた。修士課程当時、中西寅雄を初めとする日本の批判的経営学の源流に属する諸学説を勉強し、「国家と経営」の融合領域の実証研究を修士論文の研究対象にすることを目指していた。しかし、「国家と経営」の融合領域の経営対象がどこにあるのか見出せず、実証研究の対象を日本にするのかドイツにするのかも迷っていた。この研究対象の独自性を曖昧にし先学の研究を踏襲して「二番煎じ」のフォロワー(追随者)に留まることは容易だが、修士論文としての価値は当然低くなる。プロの研究者を目指す者としてオリジナルな論文にすることがどうしても必要であった。
 科学的な経営学研究の方法論はほぼ固めていたが、研究対象が見つからず困っていたところ、見かねた山下先生から、自宅に来るように命じられた。「修士論文を仕上げる時期だ。3年もかけて修論を書く者もいるが、やはり2年という期限内に書きあげることだ。君の問題意識なら、長期経営計画が適当と思うがどうか」と助言された。それまで長期経営計画という用語は今井俊一先生(同志社大学名誉教授、故人)の著書で触れられていることは記憶していたが、それが、国家と経営の融合領域の経営分野であり、新しい経営次元の展開であるとの認識には至っていなかった。
 この助言を切っ掛けに、長期経営計画(Long Range Planning)の基本文献である米国の3冊の原書や河野豊治氏ら日本の実証研究、長期経営計画と同時期に展開された国家の経済計画の手法であるPPBS(Planning,Programming,Budgeting System)の基本文献を読了した。
 この3〜4ヶ月ほどの間、京都府城陽市にあった山下先生のご自宅に足繁く通い、修士論文の完成にこぎつけることができた。駅からご自宅までの距離は歩くと猶に30分以上かかり少し複雑な道のりなので、先生は当初、自転車で駅まで迎えに来られ、帰りは自転車を押しながら送って頂いた。忝く感謝している。「経営学はどんなに広く高いところから企業を捉えても良い学問である」とする先生の持論は私の経営学方法論の視座の1つとして学ばせていただいた。

ファイル 12-2.jpg この修士論文のテーマの設定を機に、その後、特許発明の経済的研究、エジソンやGEの経営史、経営戦略の概念研究、環境経営などの研究テーマを次々に研究対象として加えてきたが、誰にも相談せず自分で開拓したものである。修士論文の完成後に、山下先生から専門研究に関わって直接のご指導を仰いだことはなかったと記憶している。後輩の院生から伝え聞いた話では「足立君は自分で研究を進められるので放っておけば良い」と仰られていたそうである。プロの研究者への最初の動機付けをしていただいた山下先生の学恩は測り知れない。
 近年、立命館大学は文部科学省も認める私立大学改革のモデルとされ優秀な学生を集めているようだが、この隆盛の基礎には、60年代から70年代にかけて学内に蔓延っていた学生集団による暴力や違法行為を毅然として排除し全国的にも早い時期にキャンパスを正常化したことが大きく貢献している。
 とくに、立命館大学経営学部には一部の暴力学生がはびこり教室の封鎖による風紀の乱れや精神の荒廃を招いたといわれている。この事態に心を痛めた教員を先頭に結束して経営学部の再建に立ち上がり、半数の教員が入れ替わる程の犠牲を払いながらも、立命館大学創立80年の記念すべき1981年に日本経営学会の全国大会を無事に開催できるまでになった。当時、経営学部長の職責にあり経営学部創設時から学部の建設に携わってきた山下先生はそのときの心境を次のように述懐している。「経営学部の創設時には新しい学部づくりに熱気を感じていた学部が、学園紛争に巻き込まれ、学部は真っ二つになって、気がついてみれば半分以上の教員が入れ替わってしまっていた。紛争の痛手を最も強く受けたのが経営学部であったようにおもう。その後の10年間は、学部の創設時とは違った雰囲気で、学部の全員がいわば再建に一致協力して取組んできたのである。」(「定年退職者のみなさまから」1994年3月第261号)


ファイル 12-3.jpg 私が立命館大学院に入学した1978年当時でもキャンパス内での学生による暴力行為はほぼなくなっていたように思う。反対に、学部時代に学んだ大阪市立大学の杉本キャンパスでは、ヘルメットを被り覆面をして角材や鉄パイプで武装した学生による殺人や暴力行為は日常茶飯事だったので、キャンパス内で暴力に対する恐怖心のない生活を送れることの素晴らしさを立命館大学で初めて実感した。学生の暴力と学外の団体からの不当な介入との対決を先伸ばしてきた大阪市立大学では正常化が他大学より大幅に遅れたことが後遺症となり、その後の大学改革に影響を及ぼしたようである。
 大学をめぐる社会の情勢も様変わりした。大学経営に拝金思想が蔓延し、先進国で最悪と言われる学生への学費負担をいかに引き下げるか、教育をどのように充実させるか、教育効果と連動する研究条件や研究水準をどのように引き上げるかなどの研究・教育への施策は貶められ、理事会を中心に浅薄な合理化が進められ教職員に対する不当な解雇や労使紛争、スキャンダラスな事件が全国で多発している。
 立命館大学も例外ではなく、教職員の賃金を5.5%カットしながら理事長(川本八郎氏)には退職金(退任慰労金)の名目で総額1億6千万円が支払われている。組合の調査によれば、立命館大学の教職員の平均賃金は関西大学、関西学院大学、同志社大学の平均より15%下回っている。その一方で、年々学費は上昇している。それだけではない。
 立命館大学は、2008年度生命科学部への入学生の内、定員の1.4倍を超えた学生の他学部への特別転籍を図ったことが発覚し、「教育上の合理的な理由があったと判断できず」と文科省から指摘を受け、私立大学に交付されている経常費補助金の25%(約15億円)を減額される処分を受けている。補助金確保のための姑息な不正行為を行ったことで墓穴を掘り逆に補助金の大幅な削減をもたらした。経営指導部のモラルとコンプライアンス(法律遵守)は麻痺しているといわざるをえない。一般に、経常費は教職員の人件費に充てられるので補助金削減後の労働条件の更なる悪化が懸念される。深刻なのは、この経営失態に直面して、経営指導部が責任を取れないでいることである。この事件による立命館大学の社会的信用の低下は避けられない。
 2008年7月15日、京都市内で800名ほどの学生(内500名)、教職員、卒業生、市民が参加して、立命館大学の経営優先主義、理事会のモラルハザード、学園指導部の指導力の欠如を指摘し、教学を重視する指導部の再構築の必要と今後の方針が話し合われたという。 
 戦後、末川博総長が築いた立命館大学の「平和と民主主義」の精神には、現代の大学経営やスピ−ディな教学の要請、会議の効率性などから不十分なところもあるかも知れない。だが、現代風にアレンジできれば、「大学の理想」を目指した末川精神は今日でも燦然と輝くであろう。現に、学生の学ぶ権利や自治能力の醸成、大学経営へのステークホルダーの参加を重視した立命館大学の精神は全国に展開する卒業生や市民の中に脈々と受け継がれており、成金思想に毒された俄経営者(大学理事)の専断で容易に変更できるものではない。
 山下高之先生を偲ぶ会に参加し卒業生の方々の元気なお姿と発言にも接して、立命館大学の精神は今日も健在であり、山下先生の残した業績は不朽のものであることを改めて実感した次第である。

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